薬学6年制の諸問題と本学の課題

5.14.2004 H.Shindo

はじめに

薬剤師の能力と社会的地位の向上を目指した長い間の論争と協議の末,ようやく18年度から薬学6年制が実施されることになりました. 本学においても6年制準備委員会が発足し,その実施に向けて本格的に動きだしています.しかし,薬学6年制の根幹に係わるいくつかの厳しい現実と 乗り越えねばならない重要な課題があります.その第1は,最近の薬学部新設ラッシュにより,現状でも多い薬剤師がさらに余るという事態が近い将来 間違いなくやって来ることです.高度な能力を持つ薬剤師が輩出されるが,多くの者がその能力を発揮できる職につけないという時代が到来します. 薬剤師の供給過剰は,社会的地位の向上という悲願とは裏腹に,過当な安売り競争を強いられることでしょう.長期的にみれば,薬剤師の人気が下落することは必定です. 第2の問題は,薬学6年制への移行措置として一部4+2制度を残すことの是非の問題です.第3に,本学の1学年460名もの学生全員に対して長期実務実習の場を どのように確保できるかという点です.以下,薬剤師の現状の把握と薬学6年制の問題点を考察し,それに向けての本学の取組み方について私見を述べます. 今必要なのは,薬学の現状と将来展望を十分に把握した上で,薬学6年制を中心にその実施を具体的に進める一方で,その移行過程において本学にとって最良の道筋は 何かを探ることかと考えます.本稿が皆様の議論に資することができれば幸いです.

薬学6年制の諸問題

1.データから見る薬剤師供給過剰の時代の到来

(a) 施設・業務別にみた薬剤師の就業動向

平成16年度第89回薬剤師国家試験合格者数は8,653人でしたが,過去5年間で年平均約8,800人が国家試験に合格しています.一方,平成14年末の統計データによれば, 日本における届出薬剤師の数は,229,744人で,平成12年の調査に比べ12,267人(5.6%) 増加しています.従事している主な業務の種別をみますと(図1), 「薬局の従事者」が106,892人(46.5%),前回に比べて12,132人(12.8%)増加し,「病院・診療所の従業者」47,536人 (20.7%)で,同614 人 (1.3%) 減少しています. 「大学の従事者」は7,076人(3.1%)で,683人(9.7%)増加し,「医薬品関係企業の従事者」45,543人(19.8%)(740人1.6% 増),「衛生行政機関又は保険衛生施設の従事者」 16,998人(7.4%)(496人2.9%減)となっています.その他の業務者4,614人,無職の者12,384人(5.4%)となっています.「大学の従事者」の増加のほとんどは大学院進学者の増加です. 「衛生行政機関などの従事者」の減少は,地方行政機関の財政悪化や独立法人化などによる人員削減の影響かと思われます.



図1 施設.業種別に見た薬剤師数および構成割合

「薬局従事者」数は激増し,「病院・診療所の従業者」数は微減ですが,後者の減少傾向は医薬分業の進展にともないしばらく続くものと思われます(図2). 「薬局従事者」数の増加も平成18年ころより急速に飽和状態に向かうものと予想されています.



図2 薬局と医療施設に従事する薬剤師数の年次推移

また,一つの懸念は,病院の従事者のうち非常勤社員(パート社員)の割合が増加していることです.病院経営の悪化によるものと推察されますが, それは薬剤師の身分や待遇に直接関係することですので,その実態を詳しく調査する必要もあるでしょう.

(b) 薬剤師需給の予測

いわゆる6者懇の薬剤師問題検討会(座長内山 充)は,平成14年9月27日付けで「薬剤師需給の予測について」の報告書を発表しています. 詳しい説明は原報告を見ていただくとして,薬剤師の需給予測はいくつかの仮定に基づいてなされています.まず供給数ですが,(1) 薬剤師供給数は,過去6回の総届出薬剤師の統計に基づいて,(2) 毎年新規に参入する国家試験合格者数を平均8,907人とし,男女比を35:65であると仮定して推計されています. 次に,需要数の推定では,(1)医薬分業の進展にともなって,薬局の処方せん受取率が5%/年 (上位推計)あるいは3%/年 (下位推計)で上昇して70%で一定になると仮定します. (2) 医薬分業が進んでも,医療機関での薬剤師の業務は拡充する傾向があるので,従事者数は現状のまま49,000人で一定であるとします. (3) 大学従事者では教員は3,100人程度で一定,院生は年200人程度増加して,上限が4,000人であるとします.(薬学6年制移行後の大学院生数は激減するものと予想されます.) (4) 衛生行政などの従事者数は7,000人を上限とする.(5) その他,製造業などの従事者もあまり変化しないもの仮定されました.

以上の仮定に基づいて,有職薬剤師供給の推計値と総薬剤師需要の上位あるいは下位推計値を比較した結果は,図3に示すようになります.医薬分業にともない, 当面は,需要速度が供給のそれを上回り,供給数と需要数が接近しますが,供給と需要が一番接近する平成18年においても,供給が需要を約14,000人上回っています. したがって,平成18年前後においても薬剤師数が不足する状態にはならないと結論できます.

また,需要が定常状態に達した後は,供給過剰が単調に増加し,薬学6年制の卒業2期生に当たる平成25年には供給と需要の差が35,000人になります. つまり,有職薬剤師供給の15.1%が薬学関連分野の職業(図3を参照)につけないことになります.この薬剤師数の過剰を防ぐために, 平成19年度より新規参入薬剤師を30%削減させた場合(つまり,15年度からの入学定員が2/3に削減されたと仮定するとき)においても, 薬剤師不足を生じることはないと予測されました.この試算をした理由は,教育年限延長2年により薬学定員が2/3(33%減)に削減されるとの仮定に基づいたものと推察されます. しかし,現実はまったく逆で,昨年,今年と全国各地で薬学部あるいは薬科大学が相次いで新設されています.最近の薬学部の新設あるいは定員増により 平成21-23年には20%増の11,000人余りの新規参入者が予想されます.どう考えても,多すぎます.薬局薬剤師会や薬学会からの再三の抗議にも関らず, 薬学生の増員を止めることができませんでした.このままでは,薬剤師資格を得たが,就職がないという事態に陥ることは自明です.懸念される大学間のドロドロした生存競争が, 薬学における規制緩和と市場原理の実態です.これでは,社会的ニーズに応えたことにはなりません.教育は国家百年の計という明治以来の政策理念や実施原則は古語になったのでしょうか.




図3 薬剤師需給の予測

(c) 薬学新卒業生の薬局,病院への就職状況

薬学新卒業生の就職動向調査の集計によれば(薬学教育協議会),平成14年度において薬局への就職は1994名で好調ですが,病院・診療所勤務は1266名で 年々微減の傾向にあります.同年の国試合格者(約9009)に対して,薬局または病院・診療所勤務に就職できた新卒者は,それぞれ22.1%と14.1%であり,合わせて36.2%でした. 後者の割合は将来減少するこそあれ,増加することはないでしょう.薬学6年制になれば,薬剤師として働くことを希望する学生の割合が増えることは確実ですから, 薬学の新卒業生の,特に病院・診療所への就職難は極めて深刻なものとなるでしょう.

2.薬学教育の年限延長と6ヶ月実務実習

薬剤師が医療チームの一員として医師や看護士と同等の立場で医療に貢献するためには,現行の4年間では不十分であり,6ヶ月の実務実習を加えて医学部と同じ 6年制にすべきとの悲願にも似た要望がありました.この薬学6年制問題も,現行の4+2年制を12年間併存する形で,ようやく決着がつき,本年3月の国会で承認議決されました. この薬学6年制の実施には,医者と対等に向き合うだけの高度な医療の知識と実力をもつことで,薬剤師の権限の拡大と社会的地位の向上を計るという期待がかかっています. 確かに,大きな病院では薬剤師の窓口業務は減り,輸液調合,臨床治験,ベッドサイドでの服薬指導など病棟へと活動の場を広げています.部分的にではありますが, 先進的な病院では薬剤師が患者の治療設計に関与するケースも出てきました.ここに,医師と対等に意見を交せる薬剤師を育てる本当の意味があります.これが, 薬学教育年限延長を主張する根拠であり,原点でした.最近の議論を聴くにつけ,中身の伴わない美辞麗句が踊り,制度としての薬学6年制が独り歩きしているような 気がしてなりません.薬学6年制卒業生の大部分が当然薬剤師として従事することを考えれば,正に,高度な技術と知識を真に必要とする(病院・診療所の) 薬剤師の需要が有職薬剤師全体の高々20%程度であるという現実は,6年制の卒業生にとって大変厳しいものがあります.薬学6年制の施行により, 薬剤師として業務の市場が拡大するはずであるという,楽観的な予測には根拠もなく,説得力がありません.

薬学6年制の実施に当たって最も頭の痛い問題は,すべての薬学生に対して6ヶ月の実務実習をどのように実施するかということです.この時期になっても実習内容が まだ固まっていないことも問題ですが,実習先の確保のための大学間の争奪戦がすでに始まっています.私はこの方面に関係していないので,本学の1学年460名全員のための 長期病院実習の場を確保できるかどうかについて述べる資格はありません.しかし,誰にでも分かる一つの大きな懸念があります.それは,本学のように付属病院を 持たない薬科大学では,病院あるいは薬局実習の教育を外部機関に委託せざるを得ないことです.これは,教育への責任をわれわれにがとれないことを意味しています. これには2つの意味が有ります.一つには,実習内容が施設によって異なり,一定の教育レベルを保つことが困難であること,二つには,実習学生が一人でも現場で 何かの不祥事を起したとき,外部機関からの信頼を失う心配があることです.本学のように規模の大きい薬科大学にあっては,"細心の注意と努力があれば不祥事は起こらない" と誰が確約できるでしょうか.

3.大学院研究活動の縮小

研究活動は学問の府としての大学の活力の源泉であり,大学としての誇りです.いうまでもなく,大学は,製薬企業,大学や研究所において活躍している多様な卒業生 (大学院修了者も含めて)を送りだしてきました(図1).今日優秀な研究者を輩出できているのも薬系大学での活発な研究活動があるからですが,これを支えているのは 紛れもなく大学院生です.薬学6年制になっても研究活動は可能だとの意見もありますが,国家試験が卒業前に実施される限り,この意見はあまりに楽観的です. これは現4年次生の多人数,かつ期間の短い卒論研究を見れば明らかです.高い授業料を6年間も払って,さらに4年間,博士課程で研究を希望する学生がどれだけいるでしょうか. 院生が戦力になり得ない大学において,活発な研究活動がカリキュラムの編成や教員の努力だけで可能であるとは到底考えられません.本学の,私学としての,高い研究レベルは, 本学の先輩達の努力と若い研究者の育成の結果であることは,かって"国立大学と私学の大きな格差"を実体験している東薬出身者なら直ぐに分かるはずです. レベルを維持することは大変な努力を要することですが,下げることは簡単です.これをもって研究はエゴだとの根強い批判がありますが,これに答える元気はもうありません.

本学薬学部の研究の火を消さない新たな大学院体制を薬学部内に早急に構築する必要があります.現薬学会会頭の井上圭三氏が述べているように, 薬系大学の研究活動の地盤沈下は日本薬学会の衰亡を意味します.

4.まとめ

  薬学年限延長と薬学生定員削減による薬剤師の能力と社会的地位の向上という薬学関係者の願望は,最近の既存薬学部の定員増と薬学部の新設ラッシュにより見事に裏切られました. この過剰な薬剤師のために?,6年間の薬学教育の実践という壮大な社会的無駄がなされようとしています.ある者はこれを理念なき無責任な行政と批判するでしょう. しかし,これはその是非はともあれ,小泉内閣に象徴される規制緩和路線と市場の活性化のための競争原理の導入です.上述のように,薬学6年制は明るい夢よりも多くの矛盾を 抱えての門出です.また,多くの点で将来への見通しが困難で,不透明なままです.そうだからこそ,薬学6年制への長い移行期間における教育と新しい教育の質をどこまで保証でき, 薬学6年制で卒業する薬剤師の就職環境の見通し,また,一方では教育者と研究者の養成(自給できる)機構の構築など,長期的展望は絶対に欠かせません.本学が全国で最大の 規模を持つ薬科大学であることのメリットとデメリットを十分に理解した上で,明確な見通しと見識のある決断が要求されます.薬剤師像の理想と現実との大きなギャップに目を 反らし,薬学6年制への取組みに対する各大学の対応の変化を軽視した一方向的な決断は,修正の効かない事態になりかねないとの深い危惧を抱いています.



本学の将来展望に関する私案

前節では,薬学を取り巻く諸問題点について考えてきましたが,薬学部の将来の根幹に係わるこれらの問題点にどう対処すべきかを曖昧にしたまま、また,12年間の猶予期間を どう生かすかも考えずに、「単純に4+2年制は中途半端だから,余分な人員と費用が掛かるから,一律6年制の実施に最善を尽くすべき」という態度は、本学のように, 特に規模の大きい薬学部にあっては極めて危険であることは再三指摘してきました.薬学6年制で学んだ卒業生が世に出るころには薬剤師の過剰生産という厳しい現実が まっていることでしょう.こうした現実が認識されるにつれて,薬学6年制に対する各大学の対応に変化が現れ,"12年間の猶予期間をうまく利用する方策"を真剣に 考え始めています.このことは先の薬学会での会話から窺えました.要は,本学がこれまで発展させ,育てきた教育と研究の実績とノウハウを残しながら,新しい, 夢のある薬学6年制東薬大を構築して欲しいと願っています.良いものを壊すことは簡単ですが,元に戻すことはほとんど不可能です.薬学6年制の実施の過程で, 数知れない不測の事態が生じることでしょう.硬直したシステムでは軌道修正も困難です.1つの考えを押し付けることのないよう,しばらくの間,可能な限り修正の効く, 融通の効く体制を,皆さんの知恵を絞り,想像力を働かせて構築し,検討されんことを切に願っております.拙速は避けなければなりません.これを中途半端で, 優柔不断であると言われれば,それはそれで結構です.改革は精神論ではありませんから.

薬学6年制を中心にした本学の教育研究システムを構築するための5原則

1. 6年一貫制薬学教育の確立−どんな薬剤師を育てるか

2. 新設薬学部などとの差別化−他に真似のできないことを

3. 4+2年制を利用した多様な対応−学生の多様なニーズと進路変更に対応

4. 研究活動の確保

5. 修正の効くフレキシブルな体制

具体的な例を示した方が理解しやすいでしょう.1つの案に過ぎませんが,別紙に示すような教育研究体制を提案します.もっと優れたシステムがあるに違いありません.


(別紙)


コメント:それぞれのコースにそれぞれの魅力を持たせること.これが大切!

(1)本システムでは6年制学科は1コースだけであるが,4年制学科には4つのコースを作る.すなわち,4年のみのコース,4+医療薬学専攻コース, 4+薬学専攻コース,4+薬学専攻/医療コースの4つ.

(2) 基礎学力試験/適正試験または共用試験により6年制学科と4年制学科相互の進路変更を可能にする.

(3) 6年制学科の長期実務実習は,調剤薬局や病院の薬剤部での調剤業務を中心に考える.

(4)4+2年制学科の長期実務実習は,現行の医療薬学専攻で行っているような臨床現場(診療課)での治療業務を中心に置く(注1:別紙). 6年制の学生との実習の住み分けもポイントの1つ!

(5) 大学院薬学専攻(2年)は薬剤師受験資格はないが,さらに1年間の実務実習を受けることで受験資格を得る.

(6)4+2年制の薬学専攻生の授業料は,彼等の研究への貢献を考慮して通常の半額程度に抑える.




 

コメント:本学の医療薬学専攻の病院実習は八王子医療センターでの1ヶ月の調剤実習を終えたのち,各病院施設によって実習の仕方は異なるが, 院生は医局において医師の指導も下で医療現場の見学実習を行う."医者とのチーム医療としての薬剤師教育"と言う点では正に理想的な実習であるといえる. 一方,薬学6年制になれば,多人数という制約から医療中心の実習は困難であり,調剤業務を中心にした病院あるいは薬局での実習にならざるを得ないであろう.